1994-01-29 第128回国会 両院 公職選挙法の一部を改正する法律案外三件両院協議会 第3号
次に、市川議長、あなたに申し上げたい。 あなたは、かねてより参議院軽視や参議院の運営に介入するなどの発言があったと伝えられており、当協議会冒頭において、運営については公正円満に行うよう要望いたしました。
次に、市川議長、あなたに申し上げたい。 あなたは、かねてより参議院軽視や参議院の運営に介入するなどの発言があったと伝えられており、当協議会冒頭において、運営については公正円満に行うよう要望いたしました。
前回の市川議長の一方的打ち切り発言によって協議が中断されてしまった後で、また今回の再度の協議会の開会には釈然としないものがあります。これは村上委員一人のみならず、我々自民党委員の全員が全く同じ気持ちであります。それをはっきり申し上げておきます。 そこで、しかし、そうはいっても衆参両院議長の御意見もございましたし、そしてまた今説明がありましたように、細川総理と河野自民党総裁との合意もありました。
一月二十七日の協議会におきまして、先ほど市川議長じきじきにお話がありましたとおり、成案を得る見込みがないものとして、議長の責任で終局をする旨の宣言をされたと私どもは理解をいたしました。そのことによって、成案を得る見込みがないものとして、この協議会は法的に言えばその任務は終了したということが宣言をされて、したがってそこで散会をするというのが本来的な筋であろうと思うわけであります。
○野坂浩賢君 ブロックの問題については市川議長が十分に御説明になって、若干の修正をすれば成案ができるという大きな柱は通ったのですから、例えば具体的にそういうことについては法制局から提案をすればいいじゃないですか。それで大体終わったんじゃないですか。
○平井卓志君 我々八人の意見はそうですが、市川議長がこの際自分の責任でこれを打ち切りたい、こういうふうに申されるわけです。したがって、そのことに対して御意見ございますか。
○山本富雄君 だから、市川議長が自分の責任でおやりになるというなら、私は反対だけれども、宣言されたらいいじゃないですか。
〔市川議長、議長席に着く〕
またこれからも私は企画庁長官として、先般総評の市川議長ほか関係の方が私のところに見えましたときも、ひとつよく意見の交換をしましょうということを申し上げているわけでございます。そういう意味では、決して消極的ではないというふうに御理解をいただきたいと思います。
特にこの問題につきましては、先般総評の市川議長たちも私のところに来られまして、この失業問題についてのいろいろな話し合いをいたしましたが、そのときにも、ある時点においてはそうした本土との全面的な交流と申しますか、そうしたことも踏まえて検討してもらってもいいんだということも言っておりました。
これももう御存じのとおりに、総評の市川議長がILO及び国際諸機関に対して、日教組のストライキに対する処罰の問題について訴えました。追って本人が直接ILOに出向いて、国際的にその問題をアピールすることを約束し合ってきた経過であります。
それはいろいろと回ってきたらしいのですけれども、市川議長のところにあてた文書でして、そしてその中の訴えとしては、それぞれの家庭の主婦が、私たちの生活はもうやっていけません、私はこれと同じ手紙を田中総理にも出しました、だけれども、私たちの生活を守ってくれるのはあなた方だと思うから、せめて、春闘には私たちの声を基礎にして要求を取ってください、七四春闘では、私たちにぜひ五万円以上の要求額を取ってくれるようにというようなはがきがたくさんに
そちらのほうがなかなか進まぬというので私のところへ話がまいりましたので、防衛庁に話しまして、山中さんと総評市川議長と会っていただきました。実はその中で、おれが総務長官のときに一生懸命やったんだ、いまは坪川さんだ。だからバックアップするから、おれもやるからというお話だった。簡単にいえばそういうこと。
○坪川国務大臣 先ほど市川総評議長とのお話がありましたが、つい四、五日前であったと思いますが、市川議長からもこの問題に対する会談の要望もありましたので、総理府において市川議長とも私お会いをいたしまして、総評としての立場から考えられる問題点の御要望、解明等もお聞きいたしておるような次第でございますので、政府はこれを放置するような考えはみじんもございません。
○岡田(春)委員 そこでお伺いしたいのは消防職員の団結権の問題、これは昨年総評の市川議長を中心とするILOに対する団の派遣の場合にも、この問題がずいぶん議論になっております。国際的に見ましても消防職員の団結権というのはこれはどこも大体認めていることなんです。
市川議長も、お帰りになってから私のところに見えまして、ぜひひとつ入ってもらいたいという要請は受けました。しかし、その構成をどうするかということについては、担当労働大臣とか、総務長官がおられますから、よくひとつ話を聞いていただきたいと、そのときには、私は入る意思はないということを申し上げておきました。
これは昨年あたりから守っておりますが、やはり一番大きな原因は春闘が早く済んだということ、これはもう疑いのない事実で、その後市川議長にもお会いしましたけれども、ことしはずいぶん早くてこっちが助かりましたぜと、来年もぜひこの調子でもっと早くやってくださいということをお願いしておきましたが、これが一番当面の私は大きな原因じゃなかったかと思います。
あるいはまた五月二十三日、おりから支援にかけつけた総評の市川議長らに対しては売国奴というようなばり雑言を浴びせかけまして、しかもその集会を妨害したのでありますが、その集会で、市川議長が去ったあとで、またも数名に対して全治三日以上十日に至る負傷をさせておるのであります。それはここにも写真がございますからこれをちょっとお回しいたしたいと思います。
伝えられるところによりますと、総評の市川議長がトップ会談をやりましょうということを大臣に申し入れたということでございますが、これはお受けになるお考えでございますか。
たまたまああいう事件が起こりまして、その後いろいろ総評の市川議長あるいは社会党の代表の人たちとも話しまして、御意見等も聞きましたが、さっそく私はさらに全国の警察当局に対しまして、こういうことが再び起こらないように万全を期すようにという指令を出して、警戒に当たっておるという実情でございます。 〔森山委員長退席、澁谷委員長代理着席〕
さらに、あのときには、総評の市川議長とか、あるいは社会党の国会議員の人も一緒に見えまして、今後の点についてもいろいろ注意してくれということでございましたので、直ちに全国の警察に手配いたしまして、十二分に配慮をして、再びこういうことが起こらないように気をつけるようにという手配をいたした次第でございます。
きのうのことでありますけれども、たまたま、集会が終わって、わが党の成田委員長あるいは共産党の不破書記局長、それから総評の市川議長などが一番先頭に立って、そして集会場からデモ行進に移る。そのデモ行進については、先頭集団に和歌山県あるいは問題の沖繩の復帰協のデモ隊、こういったデモ隊が一番最初に、先頭のいま言った来賓の人たちのすぐあとにくっついていくということであった。
もう一点伺いたいのでございますが、さっきお話に出ました市川議長との話の中で、沖繩の三千人の首切りがありますけれども、こちらのほうは長官予備金からということを口にされたんだそうでありますが、私はやっぱり、足元の二十五年もつとめてきている人々が首になるわけですから、そこのところを予備金なら予備金からとおっしゃっていただいて、一つのルールは、右へならえの形で沖繩へということにいままではなっているわけです。
市川議長が長官にお目にかかって三時からの話の中で、私、聞いております。長官にすれば、まことに心外な点が幾つもある。責任者である限りは当然連絡があってしかるべきである、相談があってしかるべきである。何にもしない。しないなら、ほかから文句の出ないように防衛庁がやったらいいじゃないかという気持ちが、話し合っている中に長官から出てきたというのですね。
今後もそういう姿勢で沖繩については行きますが、しかしその前提は、やはり本土の駐留軍に対する手当て、あるいは措置というものがどうしても優先をして、それに向かって沖繩に対しても足らない分を本土が見るという、やはり優先順位は言われるとおりでありますから、その意味においては、これは私のほうに連絡がないならば、これからは私のほうから連絡をとらせることにして、どういう措置をとるか、具体的な提案も市川議長等からございましたので